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第1章 創業の時代:1907年~1932年

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  4. 第1章 創業の時代:1907年~1932年

大河の源流、江口船具店の誕生

明治40年(1907)5月、愛知県愛知郡熱田町大字内田町(現名古屋市熱田区内田町)の堀川畔に「江口船具店」は誕生しました。
これが、現在の江口巖商店の前身です。
創業者である江口敬吉は、船舶用品の販売、修理、加工を中心に事業をスタートさせました。
この場所は、史跡「七里の渡し」や活気ある魚市場に近く、多くの漁船や伝馬船が行き交う要所でした。
船具店を営むには格好の地であり、創業当初より商売は大いに築盛しました。


二代目への継承、そして「江口巖商店」へ

昭和4年(1929年)5月、創業者である江口敬吉が病に倒れたため、長男の江口巖が二代目店主としてその志を受け継ぎました。
この時、商号を「江口巖商店」と改め、新たな一歩を踏み出しました。

主な取扱商品は、ワイヤーロープ、ポンプ、麻ロープ、いかり、チェーンなど。
中小の船会社に加え、日本車輌製造、大同製鋼(現在の大同特殊鋼)、名古屋市役所、朝日運輸といった企業とも取引を開始しました。

当時の社員は、店主を含めてわずか6名。
全員が営業マンとして活躍し、事務所は江口寿栄夫人が一人で切り盛りしていました。
初任給は月7円(現在の20万円相当)。
社員は皆住み込みで、被服手当が支給されました。
社員たちは朝早くから自転車やリヤカー、大八車を使い、お客様のもとへ商品を届ける日々を送っていました。

空と陸へ、新たな挑戦

二代目店主 江口巖は、以前より航空機や自動車の発展に強い関心を抱き、これらの分野における塗料の将来性に着目していました。
そこで、船舶関連事業に加え、陸上部門の商売に力を入れることを決意。
航空機、鉄道車両の関連品をはじめ、土木工具、機械工具、塗料など、幅広い商品の積極的な営業活動を展開していきました。

その結果、短期間のうちに三井航空機へ塗料を約70%、日本車輌製造へも塗料を中心に多くの製品を納入するまでに成長しました。

仕入れ先は、塗料では昭和3年から取引を開始した関西ペイント、帆布は横浜帆布、ワイヤーロープは日本鉄線、麻ロープ(マニラロープ)はマエブン製網など、各分野の有力企業と連携していました。

さらに、南満鉱業、清州鉱産鉱業、宇都宮製作所、東京螺旋鋲、富士化学工業などの代理店として、マグネシアクリンカー、不燃性ガラス、木ネジといった商品も幅広く販売していきました。


昭和初期の江口巖商店

昭和初期の江口巖商店

コラム:マグネシアクリンカー(Magnesia Clinker)

マグネシア(MgO)を主成分とするクリンカーで、代表的な塩基性耐火物原料。
天然(マグネサイト)と人工(海水マグネシア)に由来の2種がある。
単独、または黒鉛、クロム鉄鉱、アルミナなどと組み合わせて広く利用されている。


マニラロープ


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