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第6章 専門商社としての基盤確立:1977年~1987年

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創業70周年の新たな決意

創業70周年にあたる昭和52年(1977年)、当社にとって様々な出来事がありました。
経済社会は不安定さを増し、油断すればたちまち状況が悪化してしまう可能性がありました。
そのような中で、「伝統ある会社」の名にかけても、決意を新たに、より一層の発展を遂げなければなりません。
そこで昭和52年度の売上目標を125億円とし、「販売は製品を売ることでなく、お客様の満足を買うことである」という基本理念を改めて確認し、全社に徹底しました。

この年の2月、江口勲社長が他界し、後任として、橋本喜代二専務が代表取締役社長に就任、江口浩平常務が代表取締役専務に昇任しました。
江口巖商店と関連会社エクチにとって、新たな出発の年となりました。

5月には、三好営業所の新社屋が完成。
7月には創業70周年を記念して、社員慰安海外旅行(ハワイ)を実施しました。
社員がその土地の空気や風を肌で感じ、様々なことを学び取ってほしいという願いが込められていました。


1977年竣工した三好営業所新社屋

愛知県下の塗料商社のリーダーとなる

昭和55年(1980年)5月、橋本喜代二社長が愛知県塗料商業協同組合の理事長に選出されました。
一企業の責任者であると同時に、業界を代表するリーダーとしての重責を担うことになったのです。

翌昭和56年(1981年)の新春、愛知県下では初めてとなる塗料の製造、販売、塗装業界の「合同新年賀詞交歓会」が名古屋市西区樋の口町のホテルナゴヤキャッスルで開かれました。
それまで、愛知県下の塗料塗装業界では、関東、関西地方に匹敵する交流の場がありませんでした。
そのため、業界全体の足並みが乱れがちになることもありました。
この新年賀詞交歓会は、そうした状況を反省し、「中部塗料業界」という、名実ともに強力な組織を作り上げたいという思いから開催されたもので、当日は関係団体組合員ら250名が参集し、内容の濃い、充実した集まりとなりました。

江口巖商店自身の技術力を高め、商社としての付加価値を高めるための組織「技術員室」が新設されたのもこの頃で、当初は、塗料関係を中心に理工系大学出身者6名が選任されました。

専門商社としての機能発揮

昭和60年(1985年)9月にプラザホテルで開催された先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議は、ドル高を是正するため為替相場に協調介入することで合意しました。
いわゆる「プラザ合意」です。
これを機に、急激な円高・ドル安が生じ、「円高不況」と呼ばれる状況になりました。
トヨタ自動車をはじめとする国内の自動車産業が受けた打撃も大きく、部品、資材部門などの関連産業を含めて、厳しい経営環境の中に追い込まれました。

こうした状況の中、当社は全社一丸となって専門商社としての機能発揮に努め、難局を乗り切ろうとしました。
どこよりも早く「塗膜販売」という言葉を掲げ、実践したのでした。
塗料は半製品ですが、メーカーから仕入れた以上、それは立派な商品です。
それを右から左へ流すだけでは、文字通り運び屋に過ぎません。
そこで、この商品に付加価値を付けるために、これを「塗膜」として販売しようと考えました。

塗膜形成には前処理から仕上げまでの工程がありますが、これらを網羅して、いわゆるシステム化することで「塗膜販売」を可能にしたのです。

昭和61年(1986年)1月、高山市昭和町に高山営業所を開設。
4月には創業80周年を記念して、ヨーロッパ社員慰安旅行を実施しました。
この年の12月決算で、江口グループはあわせて年間売上320億円を達成。
昭和62年(1987年)4月には社員のための福祉施設「木曽駒山荘」を長野県木曽郡木曽福島町に開設。
8月には創業80周年記念式典を盛大に行いました。


木曽駒山荘


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